こんにちは。さきちです。
突然ですが、あなたにとって「母親」とはどのような存在ですか?
私には、母親の印象が2つあります。
1つは私が東京にいた頃の母、もう1つは私が山陰に来てからの母です。
近くにいるとわからないことがある
山陰に来る前まで、母と同居していた私。
仕事が忙しく、朝と夜に少し顔を合わせて話す程度でしたが
思春期を過ぎた頃からケンカも多くなりました。
「いつも仕事ばっかり。私の部活の試合も見に来てくれない。」などと不満を持っていました。
今思うと、寂しかったのかもしれません。
でも母は、毎日お弁当を作ってくれていたし、朝も夜もなるべく手料理をと頑張っていました。
気付こうと思えば、母の愛情に気づけたはずなのに
私は自分のことばかりで、母の大変さを気にかけたりその愛情に気づこうとしませんでした。
これも「側に母親が居てくれる」という特大の安心感ゆえのことだったと思います。
離れてみて知る母の愛の深さ
父は意外とまめな人で、折に触れて私に手紙を書いてくれました。
仕事に家事にと忙しい母からは、
思い返しても、一度も手紙をもらったことはありませんでした。
山陰に来てしばらくした頃、
いろいろしんどいことがあり「東京に戻りたい」と母に電話しました。
「何言ってるの!しっかりやりなさい。」
と一蹴され、布団に潜って泣いたことがありました。
(そんな私も山陰に来て、早13年…(笑))
私は落ち込みましたが、
離れてみて初めて「自分の居場所」があったことへの有難さを痛感しました。
母は、1年に何度も段ボールいっぱいのお菓子や食材を送ってくれました。
そして箱を開けると、いつも母からメモ書きのような手紙が入っていました。
「体に気をつけて」
短い言葉でしたが、母の字を見ると母がそこにいるようで
毎回泣いてしまいました。
母になってみて思うこと
「私は母に愛されていないのかもしれない」
なんて、同居しているときは思ったこともありました。
3人兄弟である私は、兄と弟ばかりに愛情が注がれている気がして
どこかでいつも寂しさを胸に抱えていました。
でも、母になって思うことは
「自分の子どもがたまらなく愛おしい」ということ。
何人子どもがいても、これは変わらないことだと実感します。
私に子どもが生まれて「子育て」について、母と話すことが増えました。
「あのときはこう思ってた」「こうしてほしかった」
などと気持ちを伝えられるようになり、
小さい頃の寂しさを、今になって解消しているような感じです。
母親も一人の人間。出来ることには限りがある。
そのことにもっと早く気付いて、母を助けてあげられたらよかった。
それが私の後悔です。
翻って、私がいま子どもたちにできることは
”子どもからのサイン”に、いち早く気付くことかなと思っています。
何か困っていることはないか
寂しい思いをしていないか
伝えたいことがないか
そういったことをすぐにキャッチできるように
常にアンテナを張っていたいなと思っています。
(おしまい)