二人目が生まれても新米ママ

こんにちは。

 

突然ですが、母子手帳に保護者の記録を書く欄がありますよね。子どもが〇ヶ月、〇歳になった節目に成長の記録を書く部分です。

いくつか質問があり、

その項目の一つに「子育てについて不安や困難を感じることはありますか」というのがあります。

 

はい・いいえ・何ともいえない 

で回答するようになっているのですが、私はいつもここを書くとき、なんとなく躊躇してしまいます。

 

保護者の記録が書けない

そもそも、子育てに不安や困難を感じない人っているのか?」と思いながらも、

もし「はい」に〇を付けて、

将来、子どもが何かのタイミングで母子手帳を見たときに、悲しまないかな?と、余計な心配をしてなかなか〇がつけられません(笑)

 

とりたてて「これ!」という不安はないけれど、「いいえ」とはっきりは言えない。子育てには、いつも漠然とした不安があります。

 

かといって「何ともいえない」という回答も、自分の中ではしっくりきません。

 

そうして、ときには「はい」、ときには「いいえ」、そしてときには「空欄」になっていたりします。(情緒不安定な人みたいになってる)

 

子育てに正解はない

一人目を産んで、母乳育児がうまくいかなくて毎日落ち込んでいたとき、助産師の友人がかけてくれた言葉があります。

 

「子育てに正解はないのだから、自分の思う通りにやっていい」

「そこまで子どものことを考えて、悩んで苦しんでくれる母親を持って、あなたの子は幸せだね」

 

何もかも初めて。

うまくやれなくて当然なのに、自分の中にある理想の”母親”像になりたかった。そのために目いっぱい頑張ったけど、そのギャップに押しつぶされそうになっていました。

 

「子育てに正解はない」

というその言葉を、頭の中で何度も繰り返してようやく意味を理解することができました。

   

雑誌で読んだ先輩ママの体験談やネットの情報、病院で出会った看護師さん、助産師さん、産婦人科や小児科の先生など、いろんな人がいろんなことを言います。

母親としての経験がないもんだから、どんな人の言葉も正しく聞こえて「そうしなくては」という焦燥感と義務感がいつも自分を苦しめていました。

   

でも、自分に一番しっくりくる方法を取り入れればそれ良いんだ、と今は思っています。

 

子育ては選択の連続

子育てをしていると、大きなことから小さなことまで日々の生活が”選択の連続”ですよね。

  • 今日何を着させるか、食べさせるか
  • 何をして遊ぶか?TVを見せるか?どのくらいの時間か?
  • 熱があるけど、いま病院へ行くべきか?
 

私たちの周りには情報が溢れていて、「何を取り入れ、何を指針に判断するか」というのは、子どもが小さいうちはすべて「親」が決めていかなくてはなりません。

ときどき、それが苦しく感じることもあります。

一人目のときはもちろん、二人目になってもその苦しさはあります。

 

なぜ苦しいのか考えてみると、自分が選んだ結果が「自分自身」ではなく「子ども」に影響してしまうから。

自分への影響なら責任が取れても、子どもに何か悪いことが起きてしまったら責任が取れないな…と恐ろしくなってしまうのです。

 

だからこそ、判断する材料の収集は怠らず、

日々の中で子どもへの注意や関心は最大限に向けてあげるべきだ、と感じています。

 

まとめ

とはいえ、私は普段とても適当でだらしない大人なので(それどうなの)

「これは重大な選択だな…」と感じたら周囲の大人に相談するようにしています。

 

三人寄れば文殊の知恵」なので、母親の先輩である実母・義母や夫、信頼できる友人などの力を借りて判断します。

 

そうして私は今日も子どもと全力で遊び、彼女たちが健やかに成長することを願ってやまないのです。

 

たぶんこの先も、子どもがどんなに大きくなったとしても、自分の中ではずっと「新米ママ」なんだろうなと思います。

(おしまい)

さきち
sakichiママライター
東京出身、山陰生活13年目。二児の母(長女3歳、次女0歳)です。 「なかなか疲れが取れない体を変えたい!」と、最近筋トレを始めたアラサー。 釣り好きの夫と子どもたちの4人家族。鳥取は夫の地元です。

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