ペンネーム:ばけらった
幾ばくかの尊敬のまなざしを浴びて「カジダン」とか「イクメン」といった言い回しに日常的に接するようになりましたが、
社会では家事や育児は女性が担うものという役割分担の意識が根強いからでしょうか、
未だにそこに疑念や軽蔑のようなものがまとわりついていると感じる瞬間があります。
「家事」や「育児」がイメージ先行で語られる場面では、暗に「男が仕事そっちのけで家庭を優先していいの?」とか「男の家事って、結局趣味に毛の生えたようなものでしょ?」といった非難が込められている場合が少なくないからかも知れません。
私は男性ですが、そんな非難が一概に的外れだとも言えなくもないと思っています。
ある調査結果によると、妻の目に映る夫の家事は合格ラインぎりぎりの60点だそうです。
普段たいした家事もやっていないくせに、家事を付け焼刃でさばける程度のものと考えている自称「カジダン」や「イクメン」が、妻の出産を契機に1か月ばかり育児休業を取ったところで、妻にとっては何の役にも立たないどころか、場合によっては邪魔者になり下がることだってあるわけです。
禅僧の南直哉(みなみじきさい)氏が、ある著書の中で「子どもというのは、たとえ生まれた直後に死んだとしても、大きな仕事をひとつだけしています…
その仕事というのは、一組の男女をお父さんとお母さんにすること…」。
当たり前ですがなかなか気づくことができない重要な視点で、だからこそ父親にしかできない家事育児への参加が必要だと私は感じています。
そんな夫の育児休業の役割ですが、実際は育児の割合はそう多くなく、大半は家事に費やされることになります。
実際に私もそうでした。冷静に俯瞰すれば、家庭生活を営む上で無駄な家事など皆無。
とりわけ、子どもを育てる環境を良好に整え維持する重要かつ不可欠なことばかりで、
私はこのことに気づいた時、
目に映るあらゆる家事が輝きを放ち始めたように感じました。
育児休業がきっかけで家事を担うようになった方も多いと思いますが、手がける家事の量や種類が増えれば、質も向上するでしょうし、きっと子どもも妻もそんな夫の働く姿を美しいと感じ、尊敬と感謝の記憶を刻むことにつながっていくのではないでしょうか。
それが多分「カジダン」、「イクメン」のあるべき姿なのだろうと思います。